下流:乙巳の変、そして壬申の乱
1、乙巳の変(645年)(ユリウス暦)
①大海人が深く関与して中大兄と組んだので蘇我一族の巨大な権勢排除が初めて可能になった。
②大海人と蘇我一族の間にはもともと何らかの「連携」があった。
③中大兄は天皇の位を簒奪する目的か、天皇になろうとした。
2、壬申の乱(672年)(ユリウス暦)
①660年、百済は事実上滅亡した。
②663年、白村江の戦い。中大兄は当時の日本の国力を傾け水軍を百済に送り込み捲土重来を図りますが、その敗戦の責任は当然中大兄に差し向けられます。「敗戦後も中大兄皇子は筑紫(北九州)にあって、大和に帰らなかった。それは飛鳥地方の豪族たちから敗戦の責任を間われることをおそれたからであった。
③668年 天智天皇 即位(百済系?)
中大兄が特に警戒したのは新羅勢であったと思われます。羅・唐連合軍襲来の可能性もさることながら、在日新羅勢が反中大兄勢を糾合、本国と手を組み政権とりに乗り出すことを一番恐れたのではないか。
④671年 天智天皇 暗殺される?
⑤673年 天武天皇 即位(高句麗系?)
今まで密接な関係であった百済が滅び、一人立ちして日本の朝廷を打ち立てた大革命でした。日本以外のすべての国を「外国」と考えたはじめての天皇が天武天皇といえるかもいえるかもしれない。天武即位こそ、倭国にはじめて体系的国家が誕生し、天皇という君主号、日本という国号が成立した「完全独立日本」の第一歩と考えることができる。