源流:すべては高句麗建国が始まりであろう。
『百済本記』序説によると、東扶余を脱出した朱蒙は、鴨緑江支流である卒本扶余に亡命して、卒本王延陥勃の娘であった寡婦西召奴(ソソノ)と婚姻後、息子のない卒本王を継承した。これが朱蒙の高句麗建国である。 西召奴は、朱蒙の建国事業を後押しながら、朱蒙との間に生まれた温祚をしりぞけて沸流(ピリュウ)を太子にしようとした。しかし、朱蒙としては、妻の実家の厄介になって国を建てたが、他人の息子を後継者にすることはありえないことであった。このことに不満を抱いた朱蒙は、東扶余時代の前妻柳氏夫人から生まれた留漓(ルリ)を連れて王位を継承させた。このことで愛をなくし、権力をなくした悲劇の西召奴は留漓即位(BC19)直後、父が違う二人の息子(沸流、温祚)を連れて南側に亡命した。