12数の歴史(グレゴリオ暦)

約5千年前、シュメールで始まったとされる12ヶ月の太陰太陽暦はエジプトで体系化され、1年365日の太陽暦となりました。紀元前46年にユリウス・カサエルがユリウス暦を制定したとされます。
西暦325年にニケアで開かれた宗教会議で春分の日をユリウス暦の日付で3月21日にすることが取り決められキリスト教の祭日である「復活祭」の日取りとなりました。
ところが、ユリウス暦は4年にいっぺんに閏年を置くという、エジプトの暦と同じ方法を採用していたので、ニケアの宗教会議から時を経た16世紀の時点で春分の日が約10日もずれるという、キリスト教国にとっては大変な事態が生じました。
そのため、当時のローマ教皇グレゴリウス13世によって今後このようなずれが生じないように、もう少し精密な閏年の挿入システムを立案しました。

グレゴリオ暦制定でもう一つの目的は、バチカンは南北大陸をはじめとするヨーロッパの植民地化政策を強力にバックアップしていました。
非科学的なグレゴリオ暦が、血生臭い歴史の原動力になり、植民地主義の暦であり民地主義、物質主義、そして金銭支配の暦です。