神社の由来

神社信仰から先祖信仰へ
   「御利益、恐怖信仰」から「先祖と後孫の絆信仰」へ

今まで、日本人が歴史を通じて常に神々と共に在り、神々に祈る生活を続けてきた神社 。その神々は、日本の自然と共に我々をその生みの子として生まれた神々であり、換言すれば我々の生命の根源であるに他ならない。神社の境内に入る時、我々は何かしら心の新(あら)たまりを意識し、神前に立つ時、他の一切を忘れて一向(ひたすら)神に向かう心になっている。
しかし歴史をひもといていくと神社は神がいるところでない。日本神話の神々は大和朝廷の政治的統一の過程での結合とみられ、朝鮮系の先祖を祀っている。政治的に見ると新羅(太陽信仰)が高句麗(熊信仰)を破り、新羅が百済(熊信仰)に国譲りをして、百済の国となったといえる。神社は新羅系が圧倒的に多い。

百済系神社

天照大神(西召奴)を祀る伊勢神宮をはじめとして日本全国に単独でなく複数の中の一つとして多くの神社に祀られている。

新羅系神社

須佐命(すさおの)の八岐のオロチ退治とは、毎年侵入する高句麗族を破った事実(史実)を寓話に構成したものである。
須佐命の6代孫の大国主命(おおくにぬし)がいた。長男の建御名方命(たけみなかた)が奈良朝廷(百済)から国ゆずりを要求されるがこれを断り、最終的には長野県の諏訪を中心に新羅の国づくりをした。亡くなった後、諏訪大社を建てて祀られた。婦人は八坂刀売命(やさかとめのかみ)で八坂神社に祀られた。
奈良朝廷は長男が国を渡さないので次男の八重事代主命(やえことしろぬし)に要請した。次男は国(島根地方等)を奈良朝廷に渡した。朝廷からあなたの父である大国主命を祀りなさいと言われ、出雲大社を建てて祀った。
その他に氷川神社、久伊豆神社等がある。

高句麗系神社

高麗神社は高句麗から直接に亡命してきたのでなく、報徳国(671年~685年)消滅後に亡命してきた報徳国の遺民たちである。高麗氏系譜(族譜)によれば、聖雲という僧侶が創建した「寺刹を名づけて勝楽寺として、聖雲は若光の三男」(一字草創勝聖雲光若三子也)とした。この[若光]が703年4月4日條に文武天皇から王姓を下賜された「高麗若光」である。
その他に白髭(白鬚)神社等がある。